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足利簡易裁判所 昭和43年(ろ)60号 判決 1971年12月15日

被告人 山口正明

昭二〇・八・一生 国鉄職員

主文

被告人は無罪

理由

第一、

本件公訴事実は

「被告人山口正明は、日本国有鉄道東京電気工事局高崎電気工事所に所属する国鉄職員で国鉄両毛線電化工事のためトロリー線の架線工事の監督並びにトロリーの指揮者として同工事に従事していた。

昭和四三年五月二四日午前一時六分頃、同工事の請負者千代田工事株式会社所属の有本多喜夫運転に係る軌道モーターカー(東京電気工事局軌四〇一号)の助手席外側にトロリーの指揮者として乗車し、両毛線富田駅から出発して佐野駅方面に向つて時速約三〇粁で進行した。同モーターカーの後方にトロ三両を連結し作業員塚田利雄他数名をトロ又はモーターカーの後部荷台に乗車させ、かつ三両目のトロ上には軌道より高さ五、一九メートルの架線工事用木製やぐらを取り付け、その三両目のトロを最前部にして後退運転の状態で東進させ、同日午前一時一〇分頃、佐野市大橋町一、六五八番地先の佐野駅より西方約一、七粁の地点に差しかかつた。同所軌道の北側(即ち進行方向に対して左側の意)には二五号電柱が建立し、同電柱は左側線路より左方(北側)二、一メートルの直近にあり、かつ前記千代田工事の下請業者株式会社信和商会所属の作業員中野茂平他一名が右モーターカーの出発前に富田駅を先発して右二五号電柱に到着し張架して来た場合のトロリー線の弛み取りのための段取り作業として、同電柱にクランプ、セミロープを取りつけて準備を終了し、同ロープは右電柱から軌道側へ二、六三メートル(高さ地上より六、五メートル)の地点から下方へ垂れ、地上二、一六メートルの位置にて電柱に縛りつけていた。当時は夜間で軌道モーターカーの前方に対する見透しは悪く、前記トロに取りつけられた作業用やぐらは進行方向の最前部にあつて大きな障害物となり、モーターカーの後部に取りつけられた後部灯(一ヶ)をもつてしては右モーターカーの運転席、被告人の乗車位置からは前方軌道上及びその左右に対する見透しは極めて困難な状態であつた。軌道モーターカーの指揮者である被告人としては前記中野他一名が先発して右二五号電柱に到着し、前記段取り作業をしていることを予め認識していたうえ、モーターカーは後退運転の状態で照明は照度の低い後部灯一ヶであり、そのうえ前記やぐらが障害物となつて、前方注視の出来ない危険な運行状態であつたからモーターカーの進路前方及びその左右が十分見透し出来るよう右作業用やぐらの前部に照明を取りつける等工夫して前方の安全を確認出来る適切な方法を講じて減速徐行して進行すべき業務上の注意義務があつた。然るにこれを怠り、右有本多喜夫運転手に運行上の適切な指揮をなさず、前方の安全が確認出来ないまま漫然同一速度で進行させた過失により、前記二五号電柱の側方を通過する際、右作業用やぐらの上部左角をロープに引つかけて進行したため、緊張したロープが同やぐらを倒したうえ、前記トロを次々に脱線させ、二両目のトロに乗車していた前記塚田をしてトロの下敷きにさせ、同人をして頭蓋底骨折の傷害によりその場で即死させたものである。」

というにある。

第二、

しかして、(証拠略)

を総合すると、およそ次の事実を認めることができる。すなわち

(一)、日本国有鉄道東京電気工事局長は国鉄両毛線小山駅足利駅間の電車線路新設その他の工事を三回に分けて、千代田工事株式会社に請負わせ、昭和四三年三月一六日に請負わせた第三回目の工事期間は、同年三月一八日から同年九月一三日までであつたこと

(二)、右千代田工事株式会社は、主任技術者として松尾孝二、現場代理人として西島輝幸等の職員を現地に配置し、その指導監督のもとに、下請会社たる株式会社信和商会所属中野茂平等の電工を使つて右工事にあたらせていたこと、および国鉄側としては、東京電気工事局高崎電気工事所の電車線担当の助役遠田弘を右工事の現場助役として現地に常駐させたほか、電気技術係として松本太郎、生方喜市並びにトロリー運転指揮者として被告人山口正明を配置し、右工事の監督にあたらせていたこと

(三)、前記第三回目の請負工事期間中であつた昭和四三年五月二四日午前一時過から両毛線佐野駅富田駅間のトロリー線新設工事を実施することとなり、同月二三日午後六時ころから、佐野駅構内にあつた高崎電気工事所佐野詰所において、国鉄側の現場助役遠田弘を始め前記松本、生方、被告人と千代田工事株式会社側の前記西島およびトロリーの運転手有本多喜夫等が参集して右工事の打ち合せを行つたこと、右打合せの内容としては、(イ)、工事区間は佐野、富田両駅間の佐野駅構内一八号電柱から二六号電柱までの約一五〇〇メートルとする、(ロ)、佐野、富田両駅間の線路閉鎖時間は昭和四三年五月二四日午前一時四分から同日午前二時一九分までとする、(ハ)、この間の各作業所要時間は、資材人員を乗せたトロリーが基地の富田駅から佐野駅までの区間約四、五キロを九分で走り、同駅での打合せに一分、同駅から作業開始地点の一八号電柱まで二分、同地点からトロリー線の延線作業に入り、これに四八分、二五号電柱での弛みとり作業に三分、代用トロリー線に接続する作業に二分、同所から再び引き返し、途中の点検をしながら佐野駅構内に待避するまでが四分ということであつたこと、また右トロリー線延線作業の内容は、富田駅構内で準備したトロリー(軌道モーターカーにトロツコ三台を連結し、最前部のトロツコ上にタワーと称する木製やぐらを備付け、二番目、三番目のトロツコにそれぞれトロリー線を巻いた通称ドラムを乗せたもので、このトロツコを右軌道モーターカーで後から押す形で佐野駅方面に進行しようとしたもの)に必要な作業員を乗せて佐野駅方向に走り、作業開始地点である一八号電柱から右タワー上に上つた作業員二名が既に張られていた代用トロリー線にドラムに巻かれていたトロリー線を接続し、これを二五号電柱まで吊架線に仮ハンガーをかけながら延線する作業を続け(この間トロリーは軌道モーターカーを先頭し、タワーのあるトロツコが最後部となる形になる。)、作業終了地点の二五号電柱のところで、二つの滑車と一本のロープ(セミロープと云う)とからなるセミ装置(セビ装置とも云う)を使つて延線してきたトロリー線を引張り、そのたるみを取り除き、これを終えたトロリー線の一端を二六号電柱に固定されていた代用トロリー線にクリツプで接続し、この後トロリーを佐野駅方向に進め(逆もどりの形)、トロリー線とハンガーの状況を点検しながら佐野駅構内に待避するというものであつて、右延線作業は極めて限られた時間内に、迅速、正確に実施されねばならない制約のもとにあつたこと

(四)、前記の打合せに基き、五月二四日午前零時過ころから千代田工事株式会社および信和商会側の西島、有本、猿楽、中野等が富田駅構内に集まり、前記(三)記載の如く編成されたトロリーにドラムを積み込む等の準備にとりかゝり、他方国鉄側からも前記生方、松本、被告人等が佐野駅に赴き、被告人において富田駅長と線路閉鎖手続の打ち合せをしその手続のとられたことを確認したのち、同日午前一時六分ころ、被告人の指揮により有本多喜夫運転にかゝる右トロリーを富田駅から発進させ、佐野駅方面に時速約三〇キロメートルで進行したこと。右トロリーの状況は、進行方向の最前部になつたトロツコ上には軌道上からの高さ約五、一九メートルの架線工事用木製やぐら(前記タワーと称するもの)を備付け、その次のトロツコ上にはドラムと称するトロリー線を巻いたものを積載したほか国鉄側の松本ほか一名が乗り、更に次のトロツコ上には右同様ドラムを乗せたほか信和商会の塚田利雄がドラムに巻かれていたトロリー線の端末を押えて乗車し、最後部の軌道モーターカーの荷台には国鉄側の生方のほか千代田工事株式会社側の西島、斎藤ら数名が乗車したほか、軌道モーターカーの運転席には有本多喜夫が乗車し、被告人においては右軌道モーターカー助手席の外側横取レール上に立つ(進路に対して右側にあたる。)という形であつたこと、また右軌道モーターカーは前進四段、後進四段の変速装置を有し、右の如き進行方法も推進運転と称され、その最高速度は通常三〇キロメートルと定められていること(公訴事実に退行運転と記載したのはこの意味で正確でない。)

(五)、前記の如く、富田駅に集合した者のうち、信和商会の中野茂平は、千代田工事株式会社の西島から「セミの段取り」(前記の如く延線されたトロリー線のたるみをセミ装置を使つて取り除く作業であるが、その準備という意)をするよう指示され、人夫の籠宮を引きつれトロリーの富田駅発進の一〇分か一五分前に(この点で同人は線路閉鎖手続のとられたか否かを確認しなかつた。)、富田駅から自家用乗用自動車で先発し、二五号電柱の地点に赴き、未だトロリーの通過前に、右に云う「セミの段取り」にとりかゝつていたこと、その作業の概要は、二五号電柱に梯子をかけて上り二つの滑車と一本の三分ロープからなるセミ装置というものの一つの滑車を二五号電柱地点の軌道真上の吊架線に固定したクランプという器具に吊り下げ、これから下がるセミロープ末端付近を二五号電柱の地上から二、六メートルの高さの位置に巻きつけたもの、すなわち、右ロープは、二五号電柱と軌道と垂直に交る面において電柱から軌道側へ二、六三メートル、枕木から六、一三メートルの高さで交わる位置から電柱に向け恰度三角形の長辺となる形に張られたもので、右中野は、電柱に巻きつけた右ロープの端末を両手で握り、トロリーの通過を待つていたことおよび中野の右行動は、線路閉鎖手続を確認しなかつたことと、正規の工事順序に反していた点から極めて危険なものであつたと云い得ること

(六)、前記の如く、被告人の指揮により、有本の運転するトロリーは同日午前一時一〇分ころ時速約三〇キロメートルの速度で右二五号電柱の側方を進行した際、右タワーの上部左角を、中野の準備した前記セミロープに引つかけたため、緊張したロープが前記タワーを倒して、トロツコを次々と脱線させ、前から二両目に乗車していた塚田利雄がトロツコの下敷きとなつて頭蓋底骨折の傷害を負い、その場で即死するに至つたものであること

以上の諸事実を認めることができる。

第三、

検察官は、前記塚田の死亡事故は前記トロリーの運転指揮者であつた被告人の業務上過失に因るものとして次のように主張している。すなわち、「被告人は、前記第二の(五)認定の如く、中野茂平が人夫一名を引き連れて先発し、二五号電柱に到着していわゆるセミの段取り作業をしていることを予め認識していたうえ、軌道モーターカーは退行運転(但し、前掲各証拠によると、この運転方法は、一般に云う退行運転でなく、推進運転と認められる。)の状態で、その照明は照度の低い後部灯一個であるのに、前記タワーが障害物となつて前方注視のできない危険な運行状態であつたから、進路前方およびその左右が十分見透しができるよう右タワーの前部に照明を取りつける等工夫して前方の安全を確認できる適切な方法を講じて減速徐行して進行すべき業務上の注意義務があつたに拘らず、これを怠り、有本運転手に適切な指揮をなさず、前方の安全が確認できないまゝ漫然同一速度で進行させた過失により、前記の如き死亡事故を惹起したものである(公訴事実)。」と。

そして更に検察官は、その最終意見の陳述において、トロリーの指揮者たる被告人には、次の如き法的義務が課せられているに拘らず、被告人はこれらの法的義務に違反したものである旨詳述するのである。すなわち、トロリー指揮者たる被告人には

(一)、「前方及び走行状態に注意し、必要により、いつたん停止し又は徐行運転をしなければならない」旨の規定(トロリー使用基準規程第一四条)から明白なように、本件においては、前方の安全確認義務並びにトロ上に設置された前記タワーの走行状態に留意する義務があること

(二)、「携帯電話機、信号雷管、信号炎管、手信号旗(又は手信号灯)等を携帯しなければならない」旨の規程があるところから、緊急事態に即応して走行中の自己及び他の従事員の死傷の危険を未然に防止するため十分配慮するよう義務づけられていること

(三)、「従事員は作業中自己及び他の従事員に死傷のないように十分注意しなければならない」旨の規定(安全確保に関する規程第七条)されるところの第一義的、基本的義務があり、この義務こそ、作業の能率確保に優先して遵守さるべき義務であること

というのである。

ところで、右(三)に云う義務は、弁護人の主張を俟つまでもなく、その置かれている位置、文言自体に徴して、一般的、抽象的な当然のことを規定した訓示的なものと解すべく、これをもつて、具体的な業務上過失の根幹をなす個別的な注意義務の存否の判断基準となし得ないことは多言を要さないところである。にも拘らず検察官は、被告人が本件トロリーの運転指揮者として、トロリーの編成を軌道モーターカーを先頭にするようにして進行させたならば、二五号電柱で作業をしていた中野ほか一名の作業内容も軌道モーターカーの前部照明灯の照度から見て、いち早く発見でき、本件死亡事故を回避し得た筈であつたのに、被告人は、作業能率を人命の安全確保に優先させて、トロリーの編成順序を逆にして進行させて本件死亡事故を惹起したのであるから、右の基本的な義務に違反したものと論述するのである。しかしながら、さきに認定した如き本件トロリーの編成および進行方法は、国鉄の内部諸規程上何等禁止されていないし、仮にその当否が問題であつてもそれは、本件の具体的な事実及び状況の中で検討され、判断されるべきものであつて、右の安全確保に関する一般的、抽象的義務から直ちに導き出さるべきものと云うことはできない。なお付言するならば、本件トロリーの編成及び進行方法自体を、本件訴因の核心たる過失の一内容としていないことは、前記公訴事実の記載内容自体に徴し明白なところであるから、右の主張を検察官の云う如く、単に弁護人の主張するいわゆる信頼の原則を本件に適用し得ない根拠の一つとして例示した趣旨と限つてみても、なお右主張の容認できないことは右説示から明らかなところと云わなければならない。

次に前記(二)に云う携帯電話機等の携帯義務であるが、これはトロリー使用基準規程第一三条の「指揮者は、携帯電話機、信号雷管、信号炎管、手信号旗(又は手信号灯)、時計及び列車時刻表を携帯しなければならない」旨の規定を指すものと思われるところ、右は単に緊急事態のみならず、何らかの連絡を必要とする場合に使用するため、その携帯を義務づけたものと解すべく、それ以上の義務規定と解すべき根拠は見当らない。まして検察官主張の如く、右規定を、「緊急事態に即応して走行中の自己及び他の従事員の死傷の危険を未然に防止するため十分配慮するよう義務づけた」ものと解釈することは、論理の飛躍も甚しいものと云うほかない。検察官は右規定に関し、「本件のように、特に前方注視が困難乃至不可能に近い状況下において、軌道モーターカー(トロリーの意味)を走行させる場合には、進行方向に向つて最前部のやぐら(タワーの意)を積んだトロに乗車して前方注視に努めつゝ、緊急事態および事故の発生が予見される場合には、直ちにこれら信号灯を活用して後方の運転手と連絡をとり、事前に事故の発生を防止すべき義務があつたのに、これを怠り、最前部のやぐらのところまでしか見透し得ない位置に乗車したまゝ漫然右モーターカーの走行を指揮していた被告人は、トロリー使用基準規程第一三条の義務に違反したもの」と主張するのである。しかし、被告人が右タワーを設置した最前部のトロ上に添乗すべきであつたか否かの判断基準は、これを右規程第一三条に求め得べきでないことは、右に説示したとおりであるほか、右主張のその他の点も含めて、その当否を判断するには、本件の具体的状況のもと個別的に検討さるべきものであること前記(一)について述べたことと同様である。しかも、被告人がタワー装備のトロツコ上に乗車すべきであつたとする点は、本件訴因の過失内容として明示されていない点であつて、これについても、前段に指揮したことと同断であるというほかない。

そこで、前記(一)の主張について考察すると、トロリー使用基準規程第一四条第一項は「指揮者は、トロリーの前方及び走行状態並に踏切の交通に注意し、必要により、いつたん停止又は徐行運転をしなければならない」と規定し、まさに抽象的注意義務と具体的遵守義務の双方を含むものであるが、これは、車両の運転者一般に課せられている基本的な義務を、トロリーの運転者を指揮するトロリー指揮者についても同様である旨明文化したものに過ぎず、特にこの規定に根拠を求めなければ、トロリー指揮者にあらゆる注意義務、ひいては過失責任を求め得ないという性質のものではない。

それ故、本件において、被告人に対し、如何なる業務上の注意義務を認め得るのか否かは、前記第二で認定した諸事実およびこれらから抽出し得る個別的な具体的状況のほかに中野茂平ほか一名の作業従事員が二五号電柱に先行してセミの段取り作業をしていたことを被告人において予め認識していたか否かの点をも含めた被告人の具体的な行動を考察するなかで判断さるべきことである。

そこで、訴因明示の過失の存否について考察することとする。前記の如く本件訴因としては、「被告人は、中野茂平ほか一名が先発して二五号電柱に到着し、前記の如きセミの段取り作業をしていることを予め認識していたことを前提とし、更に、トロリーは後退運転(この点正確でないことはさきに説示したとおり)で、その照明も照度の低い後部灯一個であるうえ、作業用やぐらが障害となつて前方注視のできない危険な運行状態であつたから、トロリーの進路およびその左右が十分見透し得るよう右やぐらの前部に照明を取りつけるなど工夫して前方の安全を確認できる適切な方法を講じて減速徐行して進行すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠り、有本運転手に運行上の適切な指揮をなさず、前方の安全が確認できないまゝ漫然同一速度(時速約三〇キロメートル)で進行させた過失があつた」旨記載している。しかしてこれから要約し得る被告人の注意義務は、進路前方左右に対する注視義務を根幹としたうえ、(1)、前方注視を容易にするためトロリーの進行方向最前部となつていたトロ上のやぐら前部に照明を取りつけるべきであつたこと、(2)、減速徐行義務があつたことの二点に大別できる。先づ右(1)の照明装置の装備義務は、本件工事区間であつた富田駅佐野駅間を走行する本件トロリーの走行全体に対する注意義務と解され、被告人が中野等のセミの段取り作業を予見していたか否かにかゝわりのないものと理解できる性質のものである。前掲各証拠によると、国鉄の工事に使用するトロリーは、直接工事を担当する請負業者が国鉄側の承認を得て使用するものとされ、本件においても、工事請負契約書第一五条により、請負者たる千代田工事株式会社が国鉄から本件軌道モーターカーの貸与を受け、トロリーを編成し、これを使用する際には、国鉄側の運転指揮者の指揮を受けるもので、トロ、やぐらは千代田工事株式会社の所有に属するものであつたから、もしこのトロ上に設置されたやぐら上に何らかの照明装置を設備しなければならないとするならば、それは、本件トロリーの一運転指揮者たる被告人にその義務があるのではなく、右業者側に存すると認めなければならないであろう。のみならず、さきに認定した如く、本件トロリーの如き編成方法や進行方法が国鉄の内部規程等から見ても何ら禁止されたものでないばかりか、それまでにおける実際の工事においてもこのような方法でトロリーが運行され工事が見透しの困難な夜間の場合でも、やぐら上の照明装置を要求されたことがなかつたと認められるのである。このことは、本件工事の場合も同様であるが、工事がいずれも、踏切以外第三者の立ち入ることの許されない国鉄の線路敷地内のものであり、かつ、厳格な手続とされている線路閉鎖手続のもとで実施されるものであつて、この工事に使用するトロリーが当該工事区間の線路のみを走行するものであつたとの点からも首肯し得るところである。

本件工事の場合、その区間の線路の上部にはトロリー線を吊り支えるべく張られた吊架線が既に設備されており、本件やぐらの高さがこの吊架線の高さに程遠いものであつたことは前掲各証拠により明白である。中野茂平が二五号電柱付近でトロリーの通過前予めセミの段取り作業を了していたという事実を除けば、右工事区間の線路真上に張られた吊架線付近に何等の異常がなかつたことは、線路閉鎖手続をとる以前、何本かの列車が異状なしに走行したことおよび本件トロリーが二五号電柱手前まで何等の障害なしに走行してきたこと等から容易に推認できるところである。すなわち、中野茂平のセミ装置取付けという事実を除外すれば、本件トロリーに乗車していた被告人等を含む作業従事員のすべてがトロリーの進行する線路上部の空間に本件トロリーの進行を妨げるような障害物の存在を予想しなかつた、換言すればその無障害を信頼したことに合理的な根拠があつたと認めることができるのである。検察官は、既に触れた如く、前方注視の困難な走行状態にあつたから、右の如き照明設備をやぐら上に設置すべきであつたほか、指揮者たる被告人としては最前部となるやぐらのあるトロツコ上に添乗して指揮すべきであつたと主張するが、これがやぐらの照明設備を前提としての義務だとすれば、右認定の如くやぐらの照明設備義務が被告人に存しないのであるから、その前提となる根拠を失うものと云うべく、また、やぐらの照明設備義務と関係なく認め得べき義務だと云うのであれば、指揮者は運転手席とはるかに離れた最前部のトロツコに添乗すべきだとする内部規定や内部指導、はたまた作業慣行もないことおよびそうした際の指揮者から運転手への指示連絡が一般には極めて困難になるであろうという実際上の制約あるいは右に認定した如く、線路閉鎖手続のもとで線路上を走行するという特殊性等を考慮するとき、一般道路を走行する通常の車両運転者に対するものとは異なるものと解すべきであり、本件の場合、右に云う義務は合理的な通常の範囲を超えたものと云うべくこれを是認することはできない。

前記(2)の徐行義務について考察する。これについては、その記載内容自体に徴すると、本件工事区間のすべてに亘つて減速徐行すべき義務があると主張しているようにも解せられるが、その非なることは既に説示してきた点からみて多言を要しないところであろう。問題は、本件事故現場付近における徐行義務の存否である。仮に被告人が、先発した中野等のセミ段取り作業を予め知つていたとするならば、中野等がトロリー通過以前にセミ装置を準備していなくとも、二五号電柱の線路付近に同人等のいることを被告人においても承知していたことになり、同人等が一般第三者でなく、同じ作業従事員の一員であつたとしても、同所付近ではその安全を確認できるよう減速徐行の注意義務があつたと認めるべきことになるであろう。もし被告人において右の事実の予見がなかつたというのであれば、前段説示の如く、トロリーの進行する前方上部空間が無障害であると信頼したことに合理的根拠が見出される以上、被告人に対し、通常一般第三者の立入りを予想し得る踏切あるいはその付近と全く異なる二五号電柱付近での徐行義務を認めることはまさに酷であると云うべきであろう。そうだとすると、中野等の先発した事実および中野等の作業内容を、被告人が予め認識していたかどうかが本件において最も重要な点になるわけである。されば検察官が本件審理の中途において訴因変更を求めた際でも、被告人の右の事実に関する予見の存在を維持し、本件訴因の中核的なものとしているのも肯けるのである。しかしながら、本件において、適法に取調べた証拠能力のあるすべての証拠を精査検討しても、中野茂平ほか一名の作業員がトロリー発進前に先発し、二五号電柱で、トロリーの通過前に、セミの段取り作業をしていたことを、トロリー指揮者たる被告人において予め認識していたとする証拠は皆無であると断言しなければならない。前掲中野茂平の司法警察員に対する供述調書を検討すると、中野が過去の作業において、本件と同様セミの段取り作業を予めしていたことがあつたと認定することは容易であり、これに他の状況証拠を併せ検討してみても、たかだか、請負者である千代田工事株式会社の職員や下請会社の従業員ならば、中野の先発即セミの段取り作業と認識していたであろうと推認できるに止まり、これから直ちに国鉄側の職員たる被告人も予め認識していた筈であると推論することは暴論のそしりを免れ難い。この点に関する右以外の証拠は、被告人の予見を否定するものか、あるいはそうでなくても、右中野の供述調書以上に出ているものは全くないと云つても過言でない。むしろ被告人としては、同人の捜査官に対する前掲各調書から窺知し得るように、中野等の先発を知つていたが、それは同人等が本件作業の開始地点である一八号電柱(佐野駅寄り)に行つているものと思つていたと認定することの方が延線されたトロリー線のたるみ取り作業が本件工事の最終段階のものであるという作業の順序にかんがみると自然であるということができよう。この点被告人の当公廷における供述では、それをも知らなかつたという趣旨のことを述べているが、直ちに措信するわけには行かない。さればと云つて、被告人において、中野が二五号電柱に先行し、同所でセミ装置の準備作業を了えてトロリーの通過をまつているということを予め認識していたとする証拠は、ついに全く見当らないのである。そうだとすると、右に説示したとおり、被告人に対し、トロリーの走行中、絶えず課せられている前方注視や踏切等における徐行義務等以外、二五号電柱付近における徐行義務を肯認することはできないと云わなければならない。本件において重要な点は、本件事故が前記の如く二五号電柱付近真上の吊架線に取付けられたセミ装置の一部であるロープを二五号電柱にまきつけて斜めに張り渡した形にしていたため、このロープに進行してきたトロリーの最前部トロ上のやぐら左上部が引つかゝり、次々とトロツコが脱線転覆し、トロ上に乗車していた前記塚田がトロの下敷となつて死亡したという具体的な事実の中で、その原因となつたものの直接的、個別的、具体的な注意義務の存否ということである。本件事故においては、線路上あるいはその近辺における障害物が事故の原因をなしているのではなく、また、国鉄職員や本件作業従事員以外の一般第三者の手になる障害物が原因となつたものでもない。本件作業内容を熟知し、作業経験の豊な本件作業の一従事員の手になつたセミ装置、しかもその作業が本件一連の正規の作業順序に全く反した時期になされたものが、本件トロリーの進行に対する障害物となつたという事実が重要であり、これに即した本件トロリー指揮者の具体的な注意義務の存否に関する考察と判断が必要であり、且つそれで充分であるというべきである。何故なら被告人は、本件トロリーの指揮者として、通常の指揮者ならそうしたであろうところの乗車位置である軌道モーターカーの助手席外側の横取りレールの上に立ち、いわゆる強力ライトで前方を照射しながら指揮にあたつていたのであるから、たとえ本件当時暗夜であつたうえ、トロリーの進路に対する照明も、軌道モーターカーの後部灯一個のみであつたため、前方に対する視界が不充分であつたとしても、このことから直ちに、被告人において、進路前方の線路上あるいはその近辺に通常予想される障害物の存在を事前に発見できず、事故を惹起したであろうと推認することは根拠に乏しいと云うべきところ(尤もこれとは逆に、被告人が右に云う障害物を必ず発見したであろうと断定し得ざることも当然であるが)、本件事故はまさに、こゝに云う通常の障害物に起因したものでないことはさきにみてきたとおりであるからである。

以上検討してきたところから明らかなように、結局被告人には、取調べた証拠能力のある全ての証拠をもつてしても検察官の主張する注意義務を認め得ずひいては過失を肯認することができないと云わなければならないので、有罪の証明はなかつたことに帰するものと云うことができる。

よつて刑訴法第三三六条により主文のとおり判決する。

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